Loading...

HISTORY

チームの歴史

1987

部員数が学生のみで13名に達した

ヘルメットがチーム名と同様のメタリック・ブルーに塗られた1987年。学生のみで13名の部員数に達した。だが、練習環境は決して良いものではなかった。高松グラウンドの片隅で、雑草を芝生だと言い聞かせた。
この段階までの和歌山大のチームとしての方向性は、プライベートリーグに参加すること。しかし、関西学生連盟への加盟という選択肢も見え始めていた。
----------------------
8月に高野山大と合同合宿
10/25 ALL 和歌山大 0‐52 奈良ファイティングバックス(社会人)

主将:山口
1986

8月に高野山大学と合同合宿

8月に高野山大と合同 合宿
10/19 和歌山大&高野山大 0‐49 兵庫教育大
10/26 ALL 和歌山大 0‐6 奈良ファイティング バックス(社会人)

主将:西村(#62 OL/DL)
1985

「BLIND SHARKSの軌跡、そして未来へ」

【OB会会長 経済学部36期 岡澤利彦】
私が練習に参加し始めた1985年の夏、部員は10名程で、練習はもっぱら1対1のタックル練習が中心。県庁前にあった教育学部グラウンドで、相撲のぶつかり稽古さながらの光景が延々と続けられていました。唯一の楽しみといえば、個人としての「当たりの強さと低さの追求」でした。当時の私たちには、このアメフト同好会が体育会に昇格し、関西学生連盟に加盟、そして2部リ-グに定着し当時の強豪大学と互角に戦うことになるなどとは夢にも思いませんでした。
そんな私が、いま和歌山大学グラウンドで汗を流している学生達を見てこう思います。「君たちは輝いている!素晴らしい!そして羨ましい!」と。和歌山大アメリカンフットボール部の軌跡は、まさに“奇跡”です。
我々OBの役割は、君たちを誇りに思い、信じ、そして時には酒のつまみにしてこの軌跡の続きを見守り続けていくことです。この先、BLINDSHARKSが描く“軌跡”、そして起こしてくれる“奇跡”を楽しみにしています。

--------------------------------
和歌山にアメリカンフットボールを広めようとQBクラブの協力の下、「和歌山フットボールフェスタ」を開催、地域への普及活動も行なっている。
--------------------------------
主将:中谷
1984

「創部秘話」

【OB会初代会長 教育学部34期 中谷智喜】
皆さんは「タッチダウン」というアメリカンフットボール専門誌をご存知でしょう。この存在がなければ和歌山大学にアメフト部は生まれていなかったかもしれないのです。
部を創設した私と、同期の宮脇冨美男は共に他大学を中退しての和歌山大学入学組。体育系クラブには入りたいが、既存クラブでは年下の先輩たちに囲まれることになるため、当時の和歌山大学には存在していない新しい運動部を創ろうと考えていました。
1984年のある日、宮脇はたまたま立ち寄った生協で一冊の雑誌を手にします。それこそが「タッチダウン」。何気なくページをめくっていると、ある地図が目に入りました。それは「アメリカンフットボール分布地図」。和歌山県は分布していないことを示す白色でした。「これだ!」2人が和歌山でまだ誰もやっていないアメフトをやろうと決意した瞬間でした。そして同好会として大学に登録してもうために動き始めます。教育学部の宮永教授に顧問をお願いし、さらに同好会の条件である会員15名を確保する為13名に名前を借りました。こうして実質2人だけのアメリカンフットボール同好会が発足したのです。
練習場所は、大学構内ですることは殆どなく、もっぱら和歌山城内の公園でした。環境は決して良いものではありませんでしたが、グラウンドの片隅の雑草を芝生だと言い聞かせて頑張っていました。2人だけでしたが、情熱だけは誰にも負けていないという自負がありました。

-----------------------
アメリカンフットボール同好会Blue Riversを創部した。
8月に加太にて近畿大学医学部、高野山大学、和歌山大学での3校合同合宿を行った。
-----------------------
主将:中谷